筑紫舞聞書(九)
<七福神のこと>
筑紫舞のなかに七福神に関する伝承がある。それは、世にいう福の神の概念を根底からくつがえすものである。
普通、七福神は、めでたい神、福を授ける神として簡単に考えられ、信仰されてきたが、以下に述べる話は、福の神とは何か、福とは何かを改めて私達に考えさせる深い宗教性を持っている。
筑紫舞の伝承者、菊邑検校とその配下の傀儡子達が伝えた七福神の話は、次のようなものである。
七福神は、めでたい神ではない。不幸を背負わされた神である。
福禄寿 学問をし過ぎて頭に水がたまった。自分の手で頭のてっぺんがさわれない位、大きくなってしまった神。
弁財天 女の病を背負う神。顔は美しいが白血長血(今でいえば子宮癌)にかかったので、誰にも相手にしてもらえない。そこで誰にも知られない海辺でこっそりと琵琶を弾いている。この神を祀る厳島とは、こうした身の潔斎をするためにおられる所である。
毘沙門天 罪業消滅の神。門にいる神、門番をしていて、門を出入りする人々の穢れを身に受け、苦しい思いをしている神。
恵比寿 蛭子の神。骨なし皮なしやくたいなしで、不具の神。
寿老人 いつまでたっても死ねない苦しみを味わっている神。早く常世の国に行かせて欲しいと海の彼方に祈る神。
布 袋 かつえの神、食べても食べても満足しない苦しみを味わっている神。一食食いはぐれないことを授ける神。腹八分目ということを教えてくれる神。
大黒天 父が海に入った。その後を追って自分も海にはいったが、どうしても死ねない。そこで、父がし残した仕事―福を授けること―をやろうと決めた。
小槌を振ったら、海の神となった父が出てきて、いろいろ教えてくれた。
小槌を振ったら、翡翠のありかも珊瑚のありかもわかる。
喪の神、喪に服することが仕事なので、楽しみを味わわない神である。
寿老人が、常世の国に行かせてほしいと海辺で祈っていると、他の六人の神々が集まって来た。そして、皆、苦しみを背負っていて死にたいので、一緒に連れて行ってくれとたのんだ。そこで、七人の神は、常世の国へ船出した。これが、七福神の宝引きである。これは、人々の苦しみを代って取ってあげることを意味している。
船に乗って海を漂ううちに、竹の青々と茂る島に着いた。その島には、果物が実り、海の幸など食物が沢山あった。塩もとれるし、行をする滝もあった。
その島で、七人の神は、幸せに暮らした。
七福神は、中国の神の姿をとっているが、ほんとうはすべて日本の神である。
七福神は、自らの因により、もろもろの苦しみを背負ったのではない。人々の苦しみを背負うため、神の意志によって、そうなった。
だから、人々は、この神を祀らなければならない。「祀ることによって、七福神は、人々の苦しみを背負い、福を授けてくれるのである。」
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七福神は皆、不具の神なのである。不完全な姿をしているのである。
しかし、その姿は、人々の苦しみを背負わされて、そのようになったのである。
不完全なるものに神性を見る思想は世界的にある。日本にも、近世までは、不具の子が生まれると、その子は、家を栄えさせる“福子”として皆で大切に守り育てた。
神から授かった子、神から選ばれた子として共同体がその子を大切にすることで、その共同体に福がもたらされる。
芸能を演ずることで、共同体の罪、穢れを自ら背負い、さすらいという生活を余儀なくされた彼等の生み出した神々の姿であった。
こうした伝承は、傀儡子が独自の神話体系を確立していたことを語っている。