筑紫舞聞書(十)

<イナカの神>

 筑紫舞の中に伝えられた神々は、現在の神社の神々とは、呼び方も性格も違っている。
 たとえば、「天満」は「アマミツ」と言って、天つ神のことで、菅原道真公のことではない。「八幡」は「ヤハタ」で、八百万の神々のことで、応神天皇のことではない。さらに、「アマテラス」という神は、天照大御神ではなく「海照(あまて)らす」で、夜、海上を照らす月の神である。
 そして「稲荷」は「イナカ」というように、呼び方も、神性も違う。
 また、同じ「イナカの神」でも、筑紫・畿内・尾張・関東では、舞いが違う。その舞ぶりも基本的に、筑紫は、原初形態を伝えているだけに総じて素朴、畿内は優美に、尾張はゆったりと、関東は荒々しくといったようにそれぞれに違っている。
 筑紫舞の稲の神は、非常に沢山いるが、大きく分けると次のようになる。
  稲投(イナゲ)苗の束を投げる神。苗を下さる神。
  稲拓(イナケ)稲を持って来た所にいる神。
  稲生(イナケ)稲の稔りを育てる神。(女神)
  稲食(イナケ)稲の食べ方を決めた神。
  稲荷(イナカ)収穫を守る神。
 こうした稲の成長に合わせてそれを守護する神々が、どこの土地にもいるのである。
 そのほかに、雷神・水神・国土の神・案山子などの神々が
手を貸す。その舞も伝えられている。
 菊村検校は
  稲の神さまは、数限りなく あるんですよ。
と言ったという。また、各地から舞を教えに来た人達も自分達の奉仕する神の話を光子(光寿斉氏)に語った。
 関東から来た人はこんな話をした。
  私達の地方に猪苗代湖という湖がありますが、ここはもと「稲投代」と言っていました。神様のお告げで、その湖のほとりに苗を植えるのにふさわしい土地があることを知りました。稲投の神に投げてもらった苗を受けて来て、そこに植えました。苗を植えた 時、猪が出て来たので、神様が、湖の田だけは、どうか荒らさないでくれとたのまれました。すると猪は「ふん、ふん」とうなづいて、田のまわりをまわって、他の外敵から守ってくれたのです。それで、猪苗代と書くようになりました。その土地の人は今も猪を食べません。
 また、別の人はこんな話もした。
  私達の所には“稲のとりで”というのがあります。稲の束を積みあげて、とりでにすれば、誰も火矢を射かけられず、手出しができません。また、寒さを防ぐ壁にもなるんです。
 これを聞いていた菊村検校も、
  それは大切なことですよ。殺し合っている人でも、何が大事かということはわかります。稲は生命の糧です。
と語ったという。
 幼い日の光寿斉氏は、彼等の語る神の話や検校とのこうしたやりとりを、何かおとぎ話のように受けとり、脳裏に刻みこんでいた。
 稲生の神については、土地に息吹きを与える神である。神戸の山十(山本家・光寿斉氏生家)に、開かずの部屋があり、その部屋に入ると気持ちが悪くなる。検校がこれを聞いて、
  息吹きのない土地もあります。
と言った。光子(光寿斉氏)が、
  そんな土地が田んぼやったら困るやん。
と言うと、検校は、
  そのために稲生の神がおられるのです。 
と言ったという。
  稲生の神は、最初熊野におられたが、樹下の神と水の神 にゆずって、武蔵野越えで雷の神のおられる所にゆかれた。
 稲生の神は飛ぶことができる。
という伝承もある。
 稲荷の舞は、稲が実り、稲刈りをし、稲をかつぐといった作業をするので、忌ひもをつけ、はかまを少したくし上げて舞う。
 雷神の舞は、雷神が暴れまわるが、アマツカミになだめられて、恵みの雨を降らせるというものである。
 案山子の舞は、稲刈りが終わった田んぼに、ぽつねんと一本足で立つ案山子が、田んぼに見捨てられた悲しさを舞い、神からもう一本足をもらって喜んで山に帰るという舞である。
 「かかし」は、筑紫舞では「香子」で、虫を除くための香りの強い薬草を束ねて作った草人形であり、田の神そのものであると伝える。
 雷神・案山子の舞も、神戸神事芸能研究会の会員が伝承している。
 稲荷の神の舞の次は「稔りの奏上」という舞で、稔りを神に感謝する舞である。
 そして、これら一連の舞を「田あそびの舞」というが、その最後は、「天下太平」という舞でおさめる。稔り豊かな国になったことを神に感謝する舞である。
 イナケからイナカへという一連の「田あそびの舞」はそれぞれの舞人が、次々と出て舞うのである。
 筑紫舞に伝えられた多くの「田あそびの舞」は、稲作民族の信仰が脈々と流れている。幼い苗が立派な米に稔るまで、その成長に魂を注いだ農耕民の心が息づいている。米を生命の糧とし、神そのものと感じた精神が生み出した舞であるといえよう。